[第30話]幕末維新の英傑たちと眠る長谷川鉄之進
京都市東山にある霊山護国神社には、坂本竜馬や高杉晋作など、幕末から明治維新にかけて活躍した志士たちの墓がたくさんあります。そして、その中に越後出身の志士の墓が1つだけあります。その人物が長谷川鉄之進です。
【京都東山・霊山護国神社にある長谷川鉄之進の墓】
【長善館門人姓名録】(請求記号E9306-172-3)
長谷川鉄之進は文政5年(1822)、粟生津村(旧吉田町、現燕市)で生まれました。15歳のときから当地の私塾長善館で学び、26歳で江戸へ遊学しました。そして、ペリー来航後は尊王攘夷を唱えて京都に上りますが、文久3年(1863)8月18日の政変で尊王攘夷派が京都から追放されると、七卿落ちで三条実美ら尊王攘夷派公卿とともに長州へ逃れます。長州藩では、諸隊の1つである忠勇隊の軍司として活躍したりしましたが、翌年の禁門の変では会津と戦って四国へ敗走しています。
その後、鉄之進は越後へ戻り、戊辰戦争の際には居之隊幹部として活躍するなど、多くの功績をあげました。明治4年(1871)、京都で亡くなりましたが、名だたる幕末維新期の英傑たちと同じ場所に墓が作られたのは、彼の志士としての活躍が高く評価されていた証と考えられます。
当館には長谷川鉄之進と高杉晋作が作った歌が併記されている資料があり、長州での鉄之進の交友の一端が偲ばれます。
【長谷川正傑書正傑歌及高杉東行歌扇面形】(請求記号E9306-552)